花信風法話


花信風法話 「心に花をさかせよう」
永観堂法主 中西玄禮


91 聞施(もんせ)

 問題・奈良の興福寺所蔵の阿修羅像の顔に、耳がいくつあるでしょうか?(正解は最後に)

 生活があわただしくなると、しみじみと会話を楽しむ機会も少なくなりましたね。相手が一方的にしゃべったり、こちらがつい演説してしまったりして、 話が一方通行になってしまいがちです。困るのは、テレビや新聞で知った知識や情報を、あたかも自分の意見のように語る人の多くなっていることです。それよりも、 自分の心や感情を憧れを込めて語れば、会話は自然に生き生きとしてきて、さわやかなものになるでしょう。そのためには、素晴らしい「聞き役」が必要です。 それは、どんな人でしょうか。
 話している人を愛している人。あるいは母親・恋人・・・。
 母親は子供のいつ果てるともしれないおしゃべりを、楽しそうに聞いてくれます。愛する人の口から出る言葉は、すべてカラフルで甘い心地良さで、耳に吸い込まれてしまいます。 尊敬する人の語りも聞き飽きませんね。為になって、自分一人に語ってくれること自体が嬉しいことです。

 好きでもなく、尊敬もしていないのに、相手が力を持っている人だから、聞き役に回らざるをえない。そんな時は地獄ですね。相手の教養のなさ、品の悪さ、 使う言葉の乏しさを知りながら、時に愛想笑いをして相槌を打つ。これはもう苦行です。
 しかし、今困っている人、助けを求めている人に対して救いの手を差し出すことはできなくても、その人の悩みを素直に聴いてあげることはできます。 悩みを抱えている人にとっては、心の内を聞いてもらうだけでも大きな救いになるのです。私はこれを「聞施」(もんせ)と呼んでいます。 笑顔(和顔施)や愛情ある言葉(愛語施)があるように、「聞く施し」もあるのだ、という意味の私の造語です。

 いつまで話し合っても楽しくて仕方がない。また、どんな悩みも打ち明けることができる。そんな友人を持てば、その人の人生はもう最高です。 お互いに五分と五分。たがいに相手の人格を尊重し合って、共通の話題の多い話相手。仏教では、そう云う人を「善知識」と呼んでいます。 善導大師は「菩提まで眷属して、真の善知識とならん」と述べられています。「人間として完成するまで、お互いに良き先生と成りあいましょう」という意味です。 そういう話相手を大切にしたいものですね。
 (冒頭の答えは「4つ」です。3面ですから本当は6つでしょうが、彫刻されているのは4つです。 阿修羅は4つの耳で人々の喜びも悲しみも聞き届けてくれているのです。)

 

興福寺の阿修羅像

興福寺の阿修羅像


「花信風法話集」
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