花信風法話 「心に花をさかせよう」

永観堂法主 中西玄禮

83 同行二人(どうぎょうににん)

 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」
 ご存じのように「奥の細道」の冒頭の部分です。~月日というものは永遠の旅人であって、過ぎ去ってはやってくる年もまた旅人である~、という意味です。
 松尾芭蕉が“奥の細道”の旅に出たのは、元禄二年(1689)弥生も末の七日。つまり旧暦の三月二十七日。親しい人に見送られて千住まで舟に乗って行き、 そして前途三千里の思いに胸をふさがれて、幻の巷に別れの涙を注いだりします。
 「船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり」。と格調の高い文章が続きます。
 ~人生は旅である~
 この思いこそ毎日の生活を送る上で、大事に温めたいことなのですね。ただ安易に、いい加減に日々を送っていると、何の精神上の収穫をも得ることはできません。 行き先のある人生、目的のある人生でなければ、人は淋しくて人間らしさに欠けます。芭蕉の言葉は「一日一日を大切に送らなければならない」ことを教えてくれているのです。
 そして、人生は「出会いの旅」でもあります。出会いがあり、別れがあり、また出会いがある。そこから生まれる喜びや悲しみが、私達の人生を豊かに彩ってくれるのです。
 「同行二人」という言葉があります。「どうこう・ふたり」ではなく「どうぎょう・ににん」と読みます。四国の八十八か所霊場を巡拝するお遍路さんの傘に書いてある言葉です。 同行というのは、信仰を同じくする仲間であり、二人というのは、いつも弘法大師と二人連れということです。遍路というのは春の季語です。 菜の花畑を縫うように歩く白装束のお遍路は四国の春の風物詩です。「お遍路が一列に行く虹の中」これは渥美清さんの句です。
 詩人の大木敦夫さんは遍路の風景を次のようにうたっています。
「河は流れ 山は青み/ 菜種咲きて霞む遠野/ み寺めぐる人ら行きて/ 阿波の春よ 鈴は鳴りつつ」
 人生を遍路する私たち。その旅路を心から信じあえる人、「同行二人」と呼べる人が一人あれば、人生の旅は決して孤独ではなくて、 安らぎと幸せに満ちた豊かなものになるはずです。そんな人はいない、と嘆くなかれ。仏さまはいつも見守って下さっているのです。

 

哲学の道に春到来

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「花信風法話集」
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