
三重県菰野町田光 コスモス 撮影: 超空正道
墨 悲 絲 染
表題の「墨悲絲染」は、中国は六朝時代、梁の武帝の命によって周興嗣(470 頃―521)が撰した『千字文』を典拠とする禅語です。柴山全慶編『禅林句集』には、「周の墨子は白糸を見て何色にでも染まるからと云って悲しんだという。人心の移り易きを歎じたもの」とあります。つまり、諺でいうところの「朱に交われば赤くなる」に相当する言葉として解すことができます。
ちなみに、『千字文』では、「墨悲絲染、詩讃羔羊」と対句となっており、下句の「詩」とは『詩経』のこと、羔羊はどちらも「ひつじ」、子羊は跪いて乳を飲むといわれ、温順な徳性を讃嘆している内容となっています。
一方、『蒙求』という、中国唐代の李瀚によって、八世紀前半に編纂された初学者向けの教科書があります。日本にも平安時代に伝わり、貴族の子弟たちの教育に広く用いられ、「門前の小僧習わぬ経をよむ」と同じ意味で「勧学院の雀は蒙求をさえずる」といわれるほどだったといいます。
よく知られているところでは、唱歌の『蛍の光』の歌詞にあるところの「蛍の光、窓の雪(蛍雪の功)」や、夏目漱石のペンネームの由来となった「漱石枕流」は、この『蒙求』から学ぶことが多いとされます。この書物の特徴は、古代から南北朝時代までの有名な人物の逸話を四字句の韻文で記し、類似の事跡を一対にして配列しているところです。表題の「墨悲絲染」と同じ題材と思われるものに、「墨子悲絲 楊朱泣岐」があります。その注釈を現代語訳したものは、次の通りです。
『淮南子』にいっている。楊子(楊朱)は道が幾筋にも分かれているのを見て大いに泣いた。そこは、南にも行けるし、その反対の方角の北にも行ける。その踏み出しを誤れば大変な違いになるからである。又、墨子は、まだ染まらない白の練り糸を見て泣いた。白い糸はこれから染めようで、黄色にもなり、黒にもなって、一旦染まったらその色になってしまうからである。これが『淮南子』の本文であるが、この淮南子に高誘が注釈している。「元来その本は同じであるけれども、考え次第で末は異なってくるのを楊子・墨子はあわれんでいるのである」と。
さて、ここにおいて墨子や楊子が憐れみ悲しんだというのは、おそらく政治の世界でのことと思われます。それは、為政者の持つ濃い色合いが、周りをもその色合いに染め込んでゆくということで、もしそれが悪しき色合いであったとしたら、まさに憂うべきことになります。現に、世界を見渡しますと、悲しい色に染まっている国がいくつもあることに気づかれることでしょう。かつて日本も、軍国主義一色に染まっていたことを、けっして忘れてはなりません。
ただ、人間社会は政治なくして成り立ちませんが、政治は権力を伴うものであり、仏教においては、そういったものからは、本来距離を置く立場をとっています。では、「墨悲絲染」はどう理解すればよいかを考えてみましょう。
『維摩経』に「澄んだ高原には美しい蓮の華は生えず、汚れた泥だらけの沼地の中にこそこの華が咲く」、いわゆる「泥中の蓮」の表現が出てまいります。蓮の葉は、泥の中にあっても、水滴を作ってコロコロはじき、汚れを寄せ付けず、美しい華を咲かせて結実することを譬えて、仏道が目指しているものを説いています。
この世の中、強欲・犯罪・闘争・疫病等々、まさに煩悩渦巻く泥の中に浸って我々は生きています。無垢な白い糸であればすぐさまその泥に染まってしまいそうです。かといって、「水清きよければ魚棲まず」というよう、あまりに清廉潔白すぎると、養分がないから魚も植物も育つことができません。むしろ、その汚れた泥を養分として、蓮は美しい華を咲かせていることを知るべきなのです。
『阿弥陀経』に「(極楽の)池の中の蓮華は、大きさ車輪のごとし。青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙香潔なり」とあります。仏さまの世界の蓮華は色とりどりで、どの蓮華も、自分色の個性ある色彩で光り輝いているというのです。当たり前といえば当たり前のようですが、自分とは違った色を羨んでみたり、逆に偏見を持ったり差別したりすることは、あってはならないということです。
仏教は、自己を学ぶ教えです。「墨悲絲染」から、煩悩に染まりやすい身ではあることを自覚した上で、「泥中の蓮」のごとく、その煩悩を肥やしとして、自分色の華を咲かせて、平等心という実が結ぶまで精進すること、これぞ仏の道ということです。
(潮音寺 鬼頭研祥)