法話7月

大府市 星名池の蓮 撮影: 超空正道


せん しん

 私どものところに猫がいます。現在は、室内二匹と室外に一匹の面倒を見ています。猫の仕草は、好きな人にとっては、寝ている姿を見ているだけでも癒やされるものです。中でも、前足を舌で濡らして、上手に顔を洗っている様子は、つい見入ってしまいます。では、どういう状況の時に顔を洗うのか、今話題になっているAIに聞いてみましたら、次のような回答をしてくれました。
 猫が顔を洗うときは、さまざまな理由があります。
 ・ヒゲのお手入れをするため
 ・食後のお手入れをするため
 ・転位行動としてストレスを解消する
  ため
 ・異常があって気になるため
 また、猫が顔を洗うと雨が降るという言い伝えもありますが、これは猫のヒゲが湿気を感じ取って顔をひっかく仕草が顔を洗っているように見えるからだと考えられています。猫が顔を洗うときの気持ちは、そのときによって違いますが、多くの場合はリラックスしている状態です。猫が顔を洗う姿はとてもかわいいですね。――
 なるほど、納得のいく答えを即座に出してくれました。では、われわれ日本人は、たいていは朝起きたら洗顔をします。それはなぜか、これもAIに聞いてみました。
 人間、日本人は、なぜ顔を洗うかというと、いくつかの理由があります。
 ・顔の汚れや皮脂を落とすため
 ・肌のキメを整えるため
 ・目を覚ますため
 ・心をリセットするため
 ・美しさや清潔さを保つため
 日本人は朝起きたらまず顔を洗うという習慣がありますが、これは「潜水反射効果」というものが関係しています。顔に水圧や冷たい刺激が加わると、脳と心臓に血液が集まり、目が覚めやすくなるのです。また、日本人は水で洗うことに特別な意味を持っており、「みそぎ」という言葉にも表れています。
 一方、ヨーロッパ人は洗顔をしない人が多く、朝はシャワーでササッと洗う程度です。メイクを落とすときも、クリームで拭き取るだけで済ませることが多いです。これは気候の違いや文化の違いによるものだと考えられます。人間は肌の状態によって気分や印象が変わることもありますから、自分に合った洗顔方法を見つけることが大切ですね。――
 とまあ、アドバイスまでしてくれました。しかし、当たり前のように思っている日本人の洗顔の習慣は、実は鎌倉時代以降に、仏教僧から広まったと推測することができるのです。道元禅師が著わした『正法眼蔵』の「洗面」の卷にによると、「インドや中国では皆が洗面をするが、歯磨きをしない。日本では皆が歯磨きをするが、洗面をしない」とあります。当時、禅師は歯磨きの習慣のない中国人の口臭に、ほとほと閉口していたようです。
 そこで、帰国した禅師は、『法華経』に「以油塗身、澡浴塵穢、著新浄衣、内外倶浄(香油を身に塗り、塵や汚れを洗浄し、新しい清浄な衣を着て、内外を共に清浄にして)」とあるところから、仏道修行を志すものは、先ずもって、身を浄めることが最重要であると、事細かな作法を取り決めたのでした。
 起床したら、衣を身に着け洗面所に赴き、桶一杯の水を汲み、その水で口をゆすぎ、歯をみがきます。桶の水は大切に、口をゆすいだ水が桶の中に入らないように注意しながら行い、歯をみがいた後は、残りの水で顔を洗います。洗う作法は額から眉毛、両眼、鼻、顎と進み、耳の中まで丁寧に洗うことが示されています。また、別の「洗浄」の巻では、長髪と長爪を厳しく戒め、厠(トイレ)の使い方や心構えが、これまた細かに示されています。
ところで、思い出したことがあります。私が学生時代にお仕えていた管長猊下げいかが、揮毫きごうされたとき右肩に押す関防印かんぼういんに「洗心」を使っておられました。出典を調べてみましたら、『易経』に「聖人は此を以て心を洗う」と、『後漢書』の「順帝記」には、「心を洗い自ずから新たなり」とあります。意味は、「心の塵を洗いおとすこと。心の煩累はんるいを洗い去り浄めること。また、改心すること」となります。つまり、仏教が目指すところの、煩悩を払い去り悟りを得ることに通じます。
 しかし、心を洗うといっても、具体的に何をどうしたらよいのか、解りずらいものがあります。そこで、道元禅師は、仏に仕える者の礼儀として、日常生活の中で生じる得る、あらゆる身の穢れを浄める作法を、日課とされたのだと思います。この教えの精神が、もちろん全てではないにしろ、現代の日本人にも受け継がれているものと考えられます。
 禅では、「猫に学べ」と言います。猫の細かな洗顔を観察しつつ、己の身体の汚ればかりか、己の心の塵を洗いおとすことも、じっくり考えてみてはいかがでしょうか。

       (潮音寺 鬼頭研祥)

 


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