法話9月

三重県いなべ市 そば畑と三岐鉄道 撮影:超空正道

たけ いっ 竿かん

 パリ・オリンピックが開催されました。コロナ禍で観客なしの東京オリンピックと異なり、大いに盛り上がった大会でした。私ども高齢者から見れば伝統的スポーツ観を覆すようなパーフォマンスを見せるブレークダンス、スケートボード、スポーツクライミングなどの種目でも、日本選手が活躍し、獲得した金メダルは海外の開催で過去最多、メダルラッシュだったのはうれしい限りです。俗人にとって、あの華麗な演出や警備対策にどれほどの費用がかかったのかと少々気になるところです。

 記憶に残っているオリンピックがあります。私が小学6年の時、エチオピアのアベベというマラソンの選手が、裸足で走って優勝した1960年のローマ大会です。日本は、体操競技で活躍し、大変盛り上がりました。あの頃はまだ、スポーツをするにも、運営するにも、そんなにもお金は掛からなかったのではないでしょうか。

 ところが、1984年のロサンゼルス大会を契機に、オリンピックがショービジネス化されて、2004年のアテネ大会では、運営費が回収できず、いわゆる「ギリシャ危機」が起きています。2014年のソチ冬季大会では、史上最高額の約5兆円が投入されたといいます。東京大会は、当初、コンパクトな運営を目指し、予算7千億円とされていましたが、最終的に関連経費は3.7兆円に膨れ上がりました。手柄は吹聴するも責任は取らない政治家が関与する事業は、どうしてもこうなってしまいます。

 また、スポーツをする側、国際大会で通用するアスリートになるためには、大変な費用が掛かるといいます。種目によって当然違いはありましょうが、年間に数千万円を十数年間は用意しておかないといけないでしょうから、個人で賄える金額ではなくなってきています。確かに、人類の能力の限界を極めるための努力を讃え、応援したくはなりますが、近代オリンピックが、政治的、経済的、あるいは賄賂やドーピングのような問題も含め、いろいろなところで歪みが起きていることは否めないところです。文字通り、「平和の祭典」であるための努力は、今後より一層していかなくてはならないでしょう。

 ところで、オリンピックのような世界の檜舞台に上がる、ある意味晴れがましい生き方は、スポーツの分野だけではなく、事業、芸能や学問の分野などでもあります。ただ、そのためには、潤沢な経費とさまざまな困難やリスクを背負うということになり、能力の見極めの問題も当然あり、夢を実現するためには、相応な覚悟が必要ということです。

 では、仏教では、このような問題をどうとらえるのでしょうか。物事に精進して、スキルを磨いて向上を目指すことは、もちろん奨励されますし、特に大乗仏教においては、それによって、お金儲けをすることも敢えて否定はしません。しかし、それはあくまでも自己の問題としてとらえた場合であって、他と争って勝ちを得ようという考えは否定されます。

 こんな話を聞いたことがあります。どこの国か忘れましたが、市場で三人の男が、一尾だけ魚を売っているので、「他の魚はないか?」と聞くと「この一尾を売れば、今日三人の食い扶持になるから、必要ない」といったそうです。おそらく普通の商人でしたら、少しでも多く捕ってきて、儲けようと思うのではないでしょうか。さらに大きな資本があれば、遠くの海まで出て行って、網で大量の魚を捕って、直ぐにその船の中で冷凍にして、何年か先の分まで捕ってしまおうと考えるのではないでしょうか。

 より多く、より速くといった、他よりも少しでも一歩先を目指そうという競争社会は、人類に進歩繁栄をもたらすという一面も確かにありますが、どこかで破綻を生み、弊害が出てくるものです。そして、より高みを獲得した者を「勝ち組」、そうでない者は「負け組」のように差別化してしまうのではないでしょうか。日本の教育、あるいは会社の営業現場のようなところでも、五段階評価ごとき基準が設けられ、他と競わせて、最低基準でもとろうものなら、「落伍者」のレッテルを貼られてしまいかねません。

 「漁夫ぎょうふは生涯しょうがい竹一竿たけいっかん 」という禅語があります。漁夫(漁師)は、生計を立てるのに、釣り竿が一本だけあれば一生涯生きていけるというのです。「あいつには負けたくない」という競争意識を持つと、沖に出て儲けてやろうと船が欲しくなります。しかし、前述の市場の三人の男のように、「その日の食い扶持だけ捕れればそれで十分」という達観があれば、釣り竿が一本あればそれでいいということです。

 このような生き方をする人は、決して負け組でも、落伍者でもありません。ギスギスした競争社会から距離を置き、心に余裕を持って生きている人だといえます。「竹一竿!」他と競って、挫折感を味わったときなどには、ぜひ思い出していただきたい言葉です。

    (潮音寺 鬼頭研祥)

 


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