みかえり法話


法話4月

岐阜県加茂郡白川町 水戸野のシダレザクラ 撮影: 超空正道

ねんかんのんりき

 私どもの寺には、開基由来の「江崎十一面観音」が本堂に、「安心あんじん(聖)観音」が大通りに面した駐車場内に安置されていて、近所や通行人の方々がよく手を合わせて行かれます。観音菩薩は、地蔵菩薩と並んで馴染みのある菩薩です。正しくは観世音菩薩かんぜおんぼさつといい、『般若心経』では、観自在かんじざい菩薩という名称で登場します。衆生の救いを求める声を聞くと、ただちに救済をする求道者という意味からの命名です。観音菩薩は救う相手に応じて千変万化の相となるということで、さまざまな形で表現されていますが、代表的な七観音を次に紹介いたします。
しょう観音
 すべての変化へんげ観音の原形です。一面二(一つの顔と二本の腕)という、普通の人間の姿をしています。そして多くの場合、悟りを開く前を象徴する蓮華(未開敷みかいふ蓮華)を左手に持っています。右手でその花弁を開こうとする姿の作例も多くあります。
十一面観音
 頭上に十、または十一の面を乗せています。この十一面というのは、あらゆる方向に顔を向けているという意味です。人間的な親しみからか、自然な二臂像が圧倒的に多く、水瓶すいびんに蓮華をさして左手の持物としています。
不空羂索ふくうけんさく観音
 不空は徒労ではないこと、羂索は鳥獣を捕らえる「わな」で、大悲心で衆生を済度して漏らさないという意味になります。像容は一面、あるいは三面で、四臂・六臂・八臂などもあるが、多くは一面三目八臂に表され、手に羂索などを持ち、肩には鹿皮を着けています。
◎ 千手せんじゅ観音
 千手千眼観音ともいわれ、千の手を持ち、その掌にそれぞれ眼があります。千手は大慈悲、千眼は智慧が円満自在であることを表わします。実際に千本前後の手を表現した仏像もいくつか現存するが、一般的には十一面四十二臂が多いです。
馬頭ばとう観音
 慈悲相で知られる観音菩薩の中では、異例の分怒相ふんぬそうをしています。怒りの顔で、魔障や煩悩を食い尽くして衆生を救うのです。ただ実際には、馬や牛などの家畜の守護仏、旅行の安全の守護仏として、庶民の信仰を集めました。
◎ 如意輪にょいりん観音
 財宝を富ませ、福徳や智慧を授けて、苦悩する衆生を救うといいます。像容の多くは一面六臂で、如意宝珠と宝輪などを持ち、右膝は立てて、両足裏を合わせて座り、頭を右に傾けて頬に指を添える、思惟しゆいの相を示しています。
◎ 准胝じゅんてい観音
 仏の母とも説かれ、この准胝仏母の真言と印契いんげい(印相)の密法を修すれば、一切の重い罪をも滅せられて、速やかに心の清浄を得るといいます。その像容は、三目十八臂に表されることが多いです。
 観音菩薩に関する経典は何種かありますが、一般に『観音経』と呼ばれているのは、『法華経』の中の第25章「観世音菩薩普門品ふもんぼん」を別出して一巻としたものです。後半の「普門品」には、念彼観音力、かの観音の力を念ずれば、「火の穴におし落とされようとも、それは池となる。大海原に漂流し、龍や鬼神の難にあおうと、浪に沈むことはない。高山より落とされようと、太陽の如く虚空にとどまる。悪人に追われ金剛山より落ちようとも、髪の毛一本損なわれない。刀を持った賊どもに囲まれようとも、賊はみな慈悲心をおこす。王の迫害にあい、刑場で命が尽きようとするとき、刃は折れてしまう。手かせ足かせに囚われようとも、その鎖より解き放たれる。呪いや毒薬で損なおうとする者があろうと、災いはかえって本人に向かう。悪鬼や毒龍、様々な鬼神にあおうとも、あえて害をなさない。もし獣に囲まれ牙や爪に襲われようとも遠く走り去る。。雷電とどろき、豪雨 が降りそそごうとも天も静まる。……(以下略)」とあります。
 まさに、絶大なる効験です。しかし、にわかには信じがたく、現実的には、そのようなことはありえないと思うやもしれません。観音菩薩が、自販機のように、お賽銭を入れて念ずれば何でも思いどおりのものを出してくれると考えている人には、そのような奇跡は当然起こりえないでしょう。
 『法華経』により日蓮宗を開いた日蓮は、為政者から睨まれ殺されそうになったとき、「念彼観音力」とその気迫で刀を下ろさせなかったといいます。つまり、観音菩薩の御利益は、棚ぼた式の受動的なものではありません。先ずは我欲を捨て、それが他を利するものであるかを自問し、全身全霊、その慈悲にすがり、我が身をゆだねることによってのみあずかれるものなのです。

       (潮音寺 鬼頭研祥)


 

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