みかえり法話


法話1月

平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像より

しきうん

 新しい年を迎えます。平和で希望に満ちたものであって欲しいという願いから、「五色雲」を表題といたしました。色の付いた雲のことを彩雲といい、瑞雲ずいうん慶雲けいうん景雲けいうん紫雲しうんなどとも呼ばれ、昔から瑞相の一つであるとされ、これが現れることは吉兆とされてきました。仏教においても、五色の彩雲は、重要な際に発生する現象としてとらえられてきました。
 西方極楽浄土から、阿弥陀如来が、多くの菩薩をしたがえてやってくる聖衆来迎図しょうじゅらいごうずなどにも、この五色の雲が描かれております。先年、宇治の平等院に参詣した折、鳳凰堂には、阿弥陀如来を囲むように、今は、千年という長い時が、彩色を薄れさせていますが、五色雲に乗った五十二躯もの雲中供養菩薩等の像が躍動している姿を見ると、正に極楽に遊ぶがごとく、圧巻というほかありません。この世に、極楽世界を具現化しようとした、時の関白藤原頼通の思いが、熱く伝わってまいります。
 さて、我々現代人においても、自分の居場所が、極楽のような環境であって欲しいと願うのは、誰しも同じです。しかし、現実はそうはいきません。世界を見渡せば、戦火に日々おびえ、家族と引き裂かれ逃げ惑っているウクライナの人々にとっては、正にこの世は地獄に違いありません。この世は、仏教でいうところの、苦しみ多き世界、娑婆しゃば忍土にんど)という認識が、正しいといわざるをえません。
 さらに、近年、世界各国において、極右政党の台頭が目立ち、将来の展望に焦臭きなくささを感ずるのは、私だけではないでしょう。平和は、人類の共通の願いですが、人類の歴史は、戦いの歴史でもあったという現実があります。もし、戦争という危機に直面した場合、どう対処すべきか、仏典には、どのように説かれているか調べてみました。『仏教聖典』(典拠『大薩遮尼乾子所説経』)から引用します。
 正しい教えを守る王に対して逆らう賊が起こるか、あるいは外国から攻め侵すものがあるときは、正しい教えの王は三種の思いを持たなければならない。
 それは、第一には、逆賊また外敵は、ただ人を損ない人民をしいたげることばかりを考えている。自分は武力をもって、民の苦しみを救おう。
 第二は、もし方法があるなら、刃を動かさないで、逆賊や外敵を平らげよう。
 第三には、敵をできるだけ生け捕りにして、殺さないようにし、そしてその武力をそごう。
 王はこの三つの心を起こして、それから後に部署を定め訓令を与えて戦いにつかせる。
 このようにするとき、兵はおのずから王の威徳をおそれ敬ってよくその恩になずき、また戦いの性質をさとって王を助け、そして王の慈悲が後顧の憂いをなくすことを喜びながら、王の恩に報いるために戦い従うから、その戦いはついに勝利を得るだけでなく、戦いもかえって功徳となるであろう。
 ――以上であります。ただ、釈尊ご自身は、その祖国が隣のコーサラ国から攻撃を受けたことがありますが、武力という手段を使われませんでした。ご承知のように、釈尊はシャカ国の王子であったわけですが、出家して国を出て、修行者となり、悟りを開かれブッダとなられた後は、大きな僧団が形成され、帰依者も多くでき、コーサラ国のパセーナディ王もその有力な一人でありました。
 では、なぜは、シャカ国は攻撃を受けるようなことになったかというと、次のような経緯があったといいます。コーサラ国はシャカ国を属国扱いしていて、妃を差し出すよう要請しました。ところが、快く思わなかった当時のシャカ国は、奴隷の娘を王女と偽ってコーサラ国へ送りました。王妃となった娘は、ルリ王子を生みます。成長した王子は、後に自分の出生の秘密を知り、それで、パセーナディ王から王位を奪うと、報復すべく、シャカ国に侵攻したというのです。 釈尊は一本の枯れ木の下で端座して、軍を進める王を待ち、王は「世尊よ、なぜ枯れ木にお座りか?」と尋ねると、「王よ、親族の陰は涼しい」と答えられ、釈尊の意中を察した王は、軍を引き返させました。
 同じことが三度繰り返されたといいます。しかし、四度目には「シャカ族の宿縁は熟した。報いを受けねばならぬ」といい、シャカ国の消滅を受け容れられたというのです。 釈尊であれば、他国の協力を得て、コーサラ国の侵攻を防げたかもしれません。しかし、あえて祖国は滅びても、もっと大事なものを残そうとされたのだと思います。すなわち、人間として正しく生きる教え「仏法」です。そう、私どもは五色雲に乗せて、正しい教え、仏法を伝えていく義務があるのです。
     (潮音寺 鬼頭研祥)


 

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