みかえり法話


法話11月

豊田市小田木町 タカドヤ湿地 撮影: 超空正道


俊鳥不栖林しゅんちょうはやしにすまず

 釈尊十大弟子のうちで最も有力で、智慧第一と称された方がいます。その名はシャーリプトラ、漢訳では舎利弗しゃりほつ。舎利弗の名は母シャーリの子(プトラ)という意味で、『般若心経』を訳された玄奘三蔵は、舎利子と訳されています。
 もと、王舎城に住んでいたバラモンの懐疑論者サンジャヤの弟子でしたが、釈尊の弟子であるアッサジという修行者が、托鉢のために王舎城に入る、その凜とした姿に心を打たれて声を掛け、釈尊の因縁の教えの一端を聞いただけで会得をし、目連と一緒に、釈尊に帰依し、サンジャヤの弟子二五〇人を引き連れて集団改宗したといわれています。
 釈尊の実子、羅睺羅らごらの後見人でもあったといわれます。至る所で釈尊の代わりに説法できるほど信任が厚く、さまざまな経典にも、舎利弗の名はいろんな場面で登場しております。ただ、釈尊よりも年長であったこともあり、先に世を去っています。
 そんな舎利弗ですが、『維摩経ゆいまぎょう』においては、少し様子が違っております。ある時、舎利弗は、維摩という富裕な在家の仏教信者が、病を患っているから見舞いに行くようにと、釈尊から依頼されます。ところが、舎利弗は、「維摩はどうも苦手だ」といって断るのです。経文には次のように記述されています。
 舍利弗は仏に申します。「世尊、私には出来かねます。どうしてかと申しますと、今でも思い出します。私は、かつて林の中で樹下に坐り、座禅をしておりました。そこへ維摩が通りかかり、こう話かけました。『のう、舍利弗、必ずしも坐ることのみが座禅ではありませんよ。座禅というものは、俗世間の中に在って、身と意(こころ)とを現さないことなのです。何もせず、心の働きを止め、しかももろもろの俗世間の行いをするのです。これが座禅です。修行を捨てず、俗事をする。これが座禅です。心は、自らに向くのでも、外に向くのでもありません。これが座禅です。世間の種々の見方、考え方を知りながら、仏道を修行する。これが座禅です。煩悩は起こるにまかせ、しかも心が平静である、これが座禅です。もしこのように座禅ができたならば、仏もお喜びになるでしょうな』と。その時、私は、世尊、そう語るのを聞いて、一言も発することなく、黙って動くことさえできませんでした。このようなことがありましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです」と。
 つまり、智慧第一と言われた舎利弗が、維摩にこてんぱんにやられているのです。他にも、目連もくれん迦葉かしょうなどの弟子達、弥勒などの菩薩にも見舞いを命じますが、みな以前に維摩にやりこめられているため、誰もが尻込みして行こうとしないのです。ついには、文殊菩薩が代表となって見舞いに行き、維摩と問答を行い、維摩は究極の境地「不二ふにの法門」を沈黙によって示したというのが『維摩経』の概要です。
 と言いますのは、この『維摩経』は、個人の悟りに重点を置く自利に専心する小乗の立場を排して、利他に励む菩薩の道を理想とする大乗の教えに基づく経典だからです。ですから、主人公である維摩は、出家しなくては仏道を修めることが出来ないという伝統的な立場を採ることなく菩薩道に励み、商いによって利潤の追求もするし、妻子もあって、俗世に身を置きつつ、時には遊蕩の場にも足を踏み入れもし、それでいて俗に染まることなく、聖にも俗にも、どちらにもかたよらない、あらゆる対立を超えた絶対平等の境地を生きる、理想的な人物として説かれているのです。
 今から一四〇〇年以上前の飛鳥時代、聖徳太子が、仏教によって日本という国の精神文化の方向性を示し、『法華経』、『勝鬘経しょうまんぎょう』、そしてこの『維摩経』を自ら講義をし、注釈書『三経義疏さんぎょうぎしょ』を遺されているということは、仮に、それが太子の真撰でないとしても、とても意義深いことに変わりありません。
 ところで、「俊鳥不栖林(俊鳥林にまず)」という禅語があります。すぐれた鳥は、林に安住していないということです。そして更に、「活龍不滞水(活龍は水にとどまらず)」と続きます。まことの龍は、一生を水中で過ごすようなことはしないというのです。確かに、傑物とか天才と評される人は、凡庸とか尋常といったものから飛び抜けています。一方、凡夫は、自分のおかれている環境が、良きにつけ悪しきにつけ、そこから「一歩でも前へ」という意識を持つことが、なかなか難しいものです。
 大乗のスローガンは、「上求菩提じょうぐぼだい下化衆生げけしゅじょう」ということです。上に向かっては自ら仏の悟りを求めて仏道を修行しつつ、下に向かっては他の衆生を教化きょうけし救済しようという菩薩行です。逃避的な自己中心の殻を打ち破り、慈悲の精神に基づいて、苦悩し生きる人々と共に仏道を歩んでいこうという、この大乗のフットワークを身に付けて、飛び出していきたいものです。

       (潮音寺 鬼頭研祥)


 

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