みかえり法話


クレマチス
クレマチス

28 受け難き人身を受けて、遇い難き本願に遇いて・・・
   法然上人『一紙小消息』

 生・老・病・死を四苦といい、さらに愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を加えて八苦といいますが、これは私たちの生きる現実に他なりません。 人生を半分に分けると、後半は別れが多い分だけ「苦」もまた切実です。
 若い頃は、あれが欲しい、こうなりたいと目標がありました。がむしゃらに努力して、ひとつずつ手に入れていく。叶うとその数を数える。 まだまだ、もっとがんばろう。
 でも、いつの頃からか、叶わなかった、手に入らなかった方を数えています。人生折り返すと、一度手にしていながらも、 失ってしまったものを数えるようになっています。ものばかりではありません、体の衰えも。昨日できていたことが今日できない、 今日できていたことが明日できるとはかぎらない。辛くても、泣き叫んでも老いを止めることはできません。元に戻ることもできません。 つらさに身を任せれば、不平不満ばかりが口から出てしまう、自分を許せないという愚痴です。人は欲しいものが手に入らないという苦しみよりも、 あったものがなくなる、出来ていたことが出来なくなる、失うという苦しみの方が何倍もつらいものです。

 愚痴ばかりで、いつしか「ありがとう」が口から出ることも少なくなってしまった。「ありがとう」とは、自分の命を支えてくれるすべての命に対して 感謝する言葉です。感謝を忘れるということは、自分の命を見失っているということです。
 「ありがとう」にはもう一つ、「許す」という言葉でもあります。「ありがとう」が、この命が自分だけの命ではないことに、 いかに多くの命のおかげであるかに気づいたという証の言葉であるのなら、失っていく人生であっても、それが私の人生だと受け入れていれ、 許していく言葉でもあります。愚痴を吐いて自分の人生を否定するのではありません。「ありがとう」と頭を下げて自分の人生を許していくのです。
 自分を支えてくれるたくさんの命に気付いた時、いくら苦しく辛くとも、自分の人生として受け入れることができた時、「ありがとう」が口から出てくるのです。 失った数より、支えてくれる命の多さに気づくことができるのです。

 法然上人のお言葉「受け難き人身を受けて、遇い難き本願に遇いて・・・」。それは自分の人生を受け入れた時、この身に生まれて良かったという喜びと、 それに気づかせてくださった阿弥陀様への感謝を教えてくれます。

 


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