東海市 上野台公園 カキツバタ 撮影: 超空正道
朝
一年の始まりは元日、一日の始まりは、厳密にいうと午前零時を少しでも過ぎた一瞬ということになりましょうが、感覚的には朝ということになるのではないでしょうか。と申しますのも、一年の始めを元旦ともいいますが、「旦」という字は、太陽が地平線から昇る様子を象った象形文字で、やはり、朝が一日の始まりという概念から生まれた言葉でしょう。
その「朝」という字は、会意文字(意味を持つ漢字を組み合わせて、別の意味を持たせた漢字)で、艸と日と月を組み合わせたものです。ただ、艸については、日の上と下に書き分けてあり、つまり、艸の間に日があらわれ、右になお月影の残るさまということで、早朝の意味を表現する文字です。
英語で、朝を意味するmorningの語源を調べてみましたら、古英語のmornまたはmorgenに遡るとのこと。この言葉自体はゲルマン語派に由来し、関連する言葉が、ドイツ語のMorgenやオランダ語のmorgenにも通ずるとのことです。
morning という言葉が使われるようになったのは、日の出から午前中の間を指すようになったためで、
その語源的な意味は「新しい日が始まる時間」や「夜明け」というニュアンスを持っているとのことです。
これらの語源を尋ねてみると、共通して言えることは、古代の人々が日々のサイクルをどのように捉
とらえていたかを反映していて、朝は新たな始まりとして、特別な意味を持つ時間であったと言うことができるかと思います。
ときに、法然上人が偏に傾倒された、中国は唐の時代の善導大師によって、昼を晨朝・日中・日没、夜を初夜・中夜・後夜に区分する昼夜六時それぞれに、仏を礼拝讃歎するための偈文として『往生礼讃』を著されており、我が宗門においても、重要な聖典となっております。そこで、晨朝に唱える「無常偈」をここで味わってみることにいたします。
この偈文は、修行僧(大衆)が集い、早朝未だ暗いお堂で、阿弥陀仏を讃歎する比較的長い偈文を唱えた後、ひとりの僧がすくと立ち、節を付けて、堂内いっぱい朗々と唱えるものであります。
諸衆等聴説晨朝無常偈
欲求寂滅楽 当学沙門法
衣食支身命 精麤随衆得
諸衆等今日晨朝各誦六念
【現代語訳】
ここにいる諸々の衆達よ、一日が始まるこの朝の時に、命の無常を説く次なる偈を聴くがよい。
穏やかでこころ静かな境地を楽しもうと思うならば、仏道修行の方法を学ばなければならない。
衣服と食べ物は、俗心を離れて、身命を支えるのみにせよ。それらの良し悪しを問わず、ご縁によって得られたものに随うがよい。
諸々の衆達よ、この朝に、各々あらためて六念を読誦しよう。……
ここで、六念というのは、次の修行を妨げる六つの良くない行為を禁制する教法のことを言います。
・制教(戒律)の六念
一、日月を念知せよ。
(今日は何月何日か、自省する布薩の日を忘れないために。)
二、食処を念知せよ。
(いかなる食事の布施があろうとも、心を乱さないように。)
三、夏臈を念知せよ。
(実年齢ではなく、受戒以降の年数で長幼を定める法臈を基準とし、序列を乱さぬように。)
四、衣鉢を念知せよ。
(教えを説くために、修行に必要な衣と鉢の有無を確認せよ。)
五、同別食を念知せよ。
(事情により別に食事をする者があることを知れ。)
六、康羸を念知せよ。
(修行をすすめるために、健康に留意するように。)
以上ですが、これらは修行僧のためのものであり、世俗の生活をしている在家の者には関係ないと思われるかもしれません。しかし、一日が始まる朝、身の回りのチェックをすることはとても大切なことです。制教の六念がそのまま通用するわけではありませんが、自分の今置かれている立場や環境に応じて、例えば、「夏臈を念知せよ」の場合、自分より若いから下に見るというのではなく、自分より経験値が高く知識が豊富な相手に対しては、やはり尊重すべきでしょう。
そして、もうひとつ忘れてはならないことは、私どもは、時に落ち込んで、恐怖と不安で闇の中に放り込まれたような状態になることが、一生の内にはあるものです。そんな、「明日はもう来ない」のではないかと思えるような夜でさえも、間違えなく朝はやって来ます。季節も同じで、冬枯れの次には生気あふれる春が巡ってきます。朝は、毎日巡る春のようなもので、昨日の自分は死んで、新たに生まれ変わってリフレッシュされた自分が待っているのだと考えれば、生き方も、随分と変わってくるのではないでしょうか。
(潮音寺 鬼頭研祥)