不過三毒

犬山 ヒトツバタゴの自生地 撮影 : 超空正道

() () (さん) (どく) と 「い た だ き ま す

 2013年、国際オリンピック総会で、滝川クリステルさんが、東京にオリンピックを招致するのに際して、心のこもった待遇や歓待を意味する「おもてなし」という言葉を、世界に向けて発信をしました。また、2004年、環境分野として初のノーベル平和賞を受賞した、ケニアのワンガリ・マータイさんは、日本語の「もったいない」が、彼女の取り組む資源の有効活用を一言で表す言葉であり、さらに命の大切さや、かけがえのない地球資源に対する尊敬の念という意味を、次世代へ伝えるためのメッセージとして、「MOTTAINAI」を、環境を守る国際語とするよう提唱されました。ならばここでもう一つ、食前の言葉「いただきます」も、ぜひ国際語としていただけないものかと思うのです。
 といいますのは、三、四十年程前の頃でしたか、テレビの西部劇などで、家族揃っての食事場面において、「神の恵みに感謝します。アーメン」と言っていたように記憶していたものですから、原語ではどういうフレーズになるのか、調べてみたところ、残念ながら、そのような言葉を見つけることができませんでした。今日の欧米諸外国の食前の言葉は、これから食べようとする相手へかける言葉であって、日本語の「いただきます」とはやや性格を異にするとありました。つまり、これらの言葉には、感謝の気持ちが含まれていないことを知り、少なからずがっかりさせられた訳であります。
 では、日本語の「いただきます」は、どういう言葉なのかを考察してみることにいたします。
 仏教において、宗派によっての違いは多少ありますが、食事も仏道修行として捉(とら)えていますので、食事の前に、まず、食事を提供してくださった施主に対しては、招福を祈願し、そして、一切の諸仏に対して、『般若心経』を読誦し、さらに心構えや感謝の偈文(げもん)を唱えてからいただくという、作法が取り入れられています。
 その詳細は省きますが、核となる心構えの偈文として『五観(ごかん)』があります(【 】内は意訳)。


計功多少 量彼来処: 功の多少を計(はか)り彼(か)の来処を量(はか)る
【幾多の人々の尽力と、食材の命のことまで推し量り感謝せよ】
忖己德行 全闕多減: 己が徳行の全闕(ぜんけつ)多減を忖(はか)る
【この食事を頂戴するに値する行いを、自分はしているかを反省せよ】
防心顕過 不過三毒: 心を防ぎ過(とが)を顕(あらわ)すに三毒に過ぎず
【好き嫌らいを言って、欲張ったり残したりしてはならない】
正事良薬 取済形苦: 正に良薬を事として形苦(ぎょうく)を済(すく)うことを取る
【身体の健康をたもつ良薬として摂れ】】
爲成道業 世法非意: 道業(どうごう)を成(じょう)ぜんがために世法は意にあらず
【単なる作法としてではなく、円満なる人格を形成するがための作法と心得よ】


 つまり、これらの思いを凝縮した一語が「いただきます」ということになります。
 以前、ある学校で、給食費を払っているのにもかかわらず「いただきます」と言わせるのはやめて欲しいと、保護者からの要望があったということで、話題になったことがありました。「いただきます」は、食事に携わってくれた方々への感謝の気持ち、さらに、肉や魚は、野菜や果物も命あるものであり、そのような食材の命をいただくことへの懺悔と感謝の気持ちを表す言葉であるという本来の意味が分かれば、このような発想は出てこないでありましょう。
 また、近頃のテレビは、うんざりするほど毎日のようにグルメ番組を放映しています。それは、食事が、四六時中、三毒(貪(むさぼ)り・怒り・愚か)と関わる問題であるからでありましょう。食への不満が出たときは、「不過三毒:三毒に過ぎず」の言葉を思い起こすことが必要のようであります。「いただきます」は、「もったいない」と共に、仏教が基(もとい)となっていますが、けして、一宗教にとどまるものではありません。私ども日本人には再認識を、諸外国の方々には、いろいろな機会を捉えての啓蒙が望まれます。
(潮音寺 鬼頭研祥)