1月法話

 

福 楽 ( )

 新たな年の幕開けです。コロナ禍の下で迎える二度目の新年です。今年こそ収束して幸せな日常生活を期待したいものです。さて、人間、幸福を願わない者はいません。しかし、「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如ごとし」といいます。つまり、禍(わざわい)と福(しあわせ)とは、あい表裏して変転するものであり、不幸を嘆いていると、それがいつのまにか幸福となり、幸福を喜んでいるとまたそれが災いに変わるという具合に、めぐりめぐることが、ちょうど、より合わせた縄のようであるというのです。そう、人生は、一筋縄ではいかないということでありましょう。
 3年ほど前に、「幸福とは何か?」ということを、改めて考えさせる事件がありました。日産自動車の元CEOのカルロス・ゴーン氏が、5年間で約50億円もの報酬を隠し、さらに、投資資金の不正流用や経費の不正使用などを告発されて逮捕、しかしその後、音楽機材のケースに身を隠して、密かに海外へ逃亡した一件です。
 ゴーン氏は、三菱自動車とルノーからも報酬を得ており、年俸は合算で20億を超えるといわれています。これだけでも、気が遠くなるような金額ですが、なおも不正に流用していたお 金が、何億、何十億もあったと聞くと、われわれ庶民には、想像を遙かに超えた世界での話ということになります。
「幸福とは何ですか?」と問われた場合、多くの人は、「お金!」と答えます。友松圓諦師だったと思いますが、「お金は、欲望を満たすバッテリーとかコンデンサのようなものだ」とおしゃっていました。確かに、携帯電話やスマフォのバッテリー容量の%表示が少なくなってくると、不安になるのと同じように、どうしても、少しでも多く蓄えておこうとするのであります。しかも、人間の欲望は際限がありませんから、「たとい黄金の雨を山のように降らすとも満足することはない」といいます。結局のところ、お金は、必ずしも幸福だけをもたらしてくれるものではなく、むしろ、さまざまな災いの誘因となり、かえって、ゴーン氏のように、不幸に陥ることも稀(まれ)なことではないということです。
 では、改めて「幸福とは?」を考えてみるのですが、4年ほど前ですが、心琴(しんきん)に触れるような体験がありました。娘が、二人目の子を出産したのですが、当然ながら、しばらくは入院しなくてはなりません。上の子は、2歳半で男の子です。出産当日、病院に連れて行き、母親と生まれたばかりの妹に対面させて、エレベーターのところで別れるまではよかったのですが、自分の今置かれている状況が次第に分かってきたのか、だんだん泣き顔になってきました。
 車に乗せ、動き出したらもういけません。「ママ、ママ」と大泣きが始まりました。そのうち、泣きながらしゃべり出したもので、耳を澄まして聞いていましたら「ママ、手がばっちー(汚れている)から、手をふいて」と、何度も何度もいっているのです。
 つまり、小さな彼にとって、大好きな母親から手を拭ぬぐってもらうこと、それが「幸福」だったのであります。お金でも物でもなく、それとは全く無縁の世界です。しかしそれは、幼児であるからというわけではなく、大きくなっても、いや、大人になっても、恥ずかしくていわないだけで、それぞれ人により違いはありましょうが、愛情と感ずる行為を、好きな人から、いつも受けたいと思っているものであります。そして、その行為をしてもらったときに、われわれは「幸福」になります。ところが、親子、兄弟姉妹、夫婦、友人といった親しい仲にあっても、上手に愛情要求の発信が出来る人もいれば出来ない人もいます。また、相手が、いくら発信していても、受け取る側がそれに気付かなかったり、突っぱねたりして、互いがかみ合わなければ、どちらもが「不幸」になってしまいます。
 われわれは一人で生きているわけではありませんから、コミュニケーションはとても大事です。ところが、相手のことを思わず、手前勝手な物の考え方しか出来ないというのが、われわれ凡夫(ぼんぶ)であります。そこからは、「幸福」は生まれません。『法句経(ほっくきょう)』は次の2句から始まります。
1、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。 もしも、汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。
……車をひく(牛)の足跡に車輪がついてゆくように。
2、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。 もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。
……影がそのからだから離れないように。(中村元訳)
どうか、皆さまに「福楽」が寄り添いますよう、祈念いたします。
(潮音寺 鬼頭研祥)

 


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