
西尾市 尚古荘 撮影: 超空正道
冬 日 可 愛(冬日愛すべし)
私が、まだ五十代の頃だったと思います。宗派の教団で一目置かれていて、範となるような、私も尊敬していた先輩僧が、「仏教を漢字一字で表すとすれば、それは恩だ」とおっしゃいました。しかし、その頃の私は、それにどうも合点がいかず、「いや空だ」と、反駁して譲れなかったことがありました。
ところが、今年七十も半ばという年齢になって、「空」という概念は、仏教が説く世界観、道理であって、それは単に、学問として仏教を理解することに過ぎないのではないかと、遅まきながら思うようになってきたのです。というのも、仏教の空(因縁生起)という教えからは、平等心、慈悲心といった仏教精神がにじみ出てまいります。恩という感謝の心もその一つで、それらを自分のものとして実践することこそ、宗教にとっては最重要であると気づいたからです。
そもそも恩という字は、「因」と「心」との会意文字です。「自分が今現在生きていることの因縁を尋ねる」という意味に解することが出来ます。すなわち、両親、先生、友人、同胞等、さまざまな関わりや縁を頂いて、自分という人間がこれまで支えられてきたこと、また、生きるためとはいえ、多くの食材の命の犠牲を強いてきたことなどを考えたとき、懺悔の心と感謝の思いが出てこなければ嘘でしょう。
ところが、私どもは、何でも「当たり前」のようにして生きています。自分が人間であることも当たり前、食事を摂ることも当たり前、学校へ、会社に行くことも当たり前、寝ることも、何でもかんでも当たり前のことだと思って生活しています。
そして、時に当たり前でない事態が生じると、ぶつぶつ文句を言って、「誰それが悪い」「世間が悪い」などと不平不満をぶつけます。しかし、自分が当たり前だと思っていることを、陰で支えてくれてきた人が、必ず数多くいたはずなのです。
釈尊の教え、『法句経』の一八二番の「ひとの生をうくるはかたく、やがて死すべきものの、いま生命あるはありがたし(友松圓諦訳)」に示されているのは、自分が人間として、今現在生きているということを、よくよく考えてみると、実に、有ることが難い、滅多にないということを知らなくてはならないということです。けして当たり前のことではなく、さまざまな条件が整い、縁を頂いたお陰であって、正に有り難いことなのです。
「恩」という字が「思」と似ているのは、そういうことを思い、考えないといけないということに違いありません。英語でもthanks(感謝)とthink(考える)、ドイツ語でもdank(感謝)とdenken(考える)が似ているということは、けして偶然ではないと思われます。
話変わって、表題の「冬日可愛」は、冬の太陽は暖かく、愛おしく有り難いものであるという意味ですが、「温和で恵み深い人」という意味を併せ持つ、中国の古典由来の四字熟語です。『春秋左氏伝』に次のような記述があります。
古代中国の春秋時代、魯の文公七年(紀元前620年)、狄の部族が魯の西部に侵入しました。文公が晋に訴えると、晋の趙宣子(趙盾)は賈季に命じて、狄の鄷舒を問い質し諫めました。
【原文】
鄷舒、賈季に問いて曰く、「趙衰と趙盾と、孰れか賢なる」と。
賈季對えて曰く、「趙衰は冬日の日」。「趙盾は夏日の日」。
【現代語訳】
鄷舒が賈季に問いました。「父の趙衰と、子の趙盾とでは、どちらが優れた人物ですか」と。
賈季が答えました。「趙衰は冬の太陽と言ってよかろう」。「趙盾は夏の太陽と言ってよかろう」。
この『春秋左氏伝』に注釈を加えた杜預が『春秋経伝集解』において、「冬日可愛、夏日可畏(冬日は愛すべく、夏日は畏るべし)」と評釈したことに由来するものです。
さて、これは中国の古い話ですが、「冬日は愛すべく、夏日は畏るべし」は、実に言い得て妙です。時に、近くに寄り添うと、冬日があたる縁側にでもいるような、快い心地にさせてくれる人が、周りもおられるのではないでしょうか。そのような人こそ、「知恩」の人に相違ありません。恩を知れば、平等心、慈悲心といった利他の心が、自然と身に付いてくるからです。
しかし、世間の指導者と言われるような人の中に、夏の太陽のような畏るべき人が、何と多いことでしょう。配下の者や大衆がいかに困っていようが、容赦なしに、暑苦しいパワーで迫ってくるから堪りません。これから世界は、政治も経済も冬の時代の到来が予測されます。今こそ「冬日可愛」の指導者の出現が待たれます。
(潮音寺 鬼頭研祥)
ところが、今年七十も半ばという年齢になって、「空」という概念は、仏教が説く世界観、道理であって、それは単に、学問として仏教を理解することに過ぎないのではないかと、遅まきながら思うようになってきたのです。というのも、仏教の空(因縁生起)という教えからは、平等心、慈悲心といった仏教精神がにじみ出てまいります。恩という感謝の心もその一つで、それらを自分のものとして実践することこそ、宗教にとっては最重要であると気づいたからです。
そもそも恩という字は、「因」と「心」との会意文字です。「自分が今現在生きていることの因縁を尋ねる」という意味に解することが出来ます。すなわち、両親、先生、友人、同胞等、さまざまな関わりや縁を頂いて、自分という人間がこれまで支えられてきたこと、また、生きるためとはいえ、多くの食材の命の犠牲を強いてきたことなどを考えたとき、懺悔の心と感謝の思いが出てこなければ嘘でしょう。
ところが、私どもは、何でも「当たり前」のようにして生きています。自分が人間であることも当たり前、食事を摂ることも当たり前、学校へ、会社に行くことも当たり前、寝ることも、何でもかんでも当たり前のことだと思って生活しています。
そして、時に当たり前でない事態が生じると、ぶつぶつ文句を言って、「誰それが悪い」「世間が悪い」などと不平不満をぶつけます。しかし、自分が当たり前だと思っていることを、陰で支えてくれてきた人が、必ず数多くいたはずなのです。
釈尊の教え、『法句経』の一八二番の「ひとの生をうくるはかたく、やがて死すべきものの、いま生命あるはありがたし(友松圓諦訳)」に示されているのは、自分が人間として、今現在生きているということを、よくよく考えてみると、実に、有ることが難い、滅多にないということを知らなくてはならないということです。けして当たり前のことではなく、さまざまな条件が整い、縁を頂いたお陰であって、正に有り難いことなのです。
「恩」という字が「思」と似ているのは、そういうことを思い、考えないといけないということに違いありません。英語でもthanks(感謝)とthink(考える)、ドイツ語でもdank(感謝)とdenken(考える)が似ているということは、けして偶然ではないと思われます。
話変わって、表題の「冬日可愛」は、冬の太陽は暖かく、愛おしく有り難いものであるという意味ですが、「温和で恵み深い人」という意味を併せ持つ、中国の古典由来の四字熟語です。『春秋左氏伝』に次のような記述があります。
古代中国の春秋時代、魯の文公七年(紀元前620年)、狄の部族が魯の西部に侵入しました。文公が晋に訴えると、晋の趙宣子(趙盾)は賈季に命じて、狄の鄷舒を問い質し諫めました。
【原文】
鄷舒、賈季に問いて曰く、「趙衰と趙盾と、孰れか賢なる」と。
賈季對えて曰く、「趙衰は冬日の日」。「趙盾は夏日の日」。
【現代語訳】
鄷舒が賈季に問いました。「父の趙衰と、子の趙盾とでは、どちらが優れた人物ですか」と。
賈季が答えました。「趙衰は冬の太陽と言ってよかろう」。「趙盾は夏の太陽と言ってよかろう」。
この『春秋左氏伝』に注釈を加えた杜預が『春秋経伝集解』において、「冬日可愛、夏日可畏(冬日は愛すべく、夏日は畏るべし)」と評釈したことに由来するものです。
さて、これは中国の古い話ですが、「冬日は愛すべく、夏日は畏るべし」は、実に言い得て妙です。時に、近くに寄り添うと、冬日があたる縁側にでもいるような、快い心地にさせてくれる人が、周りもおられるのではないでしょうか。そのような人こそ、「知恩」の人に相違ありません。恩を知れば、平等心、慈悲心といった利他の心が、自然と身に付いてくるからです。
しかし、世間の指導者と言われるような人の中に、夏の太陽のような畏るべき人が、何と多いことでしょう。配下の者や大衆がいかに困っていようが、容赦なしに、暑苦しいパワーで迫ってくるから堪りません。これから世界は、政治も経済も冬の時代の到来が予測されます。今こそ「冬日可愛」の指導者の出現が待たれます。
(潮音寺 鬼頭研祥)