サラシナショウマ
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31 管見

 「管見(かんけん)」と言う言葉を知っておられる方もあろうかと存じます。文字通り、細い管を通して見るという意味です。辞書には、 おおよそ二通りの意味が書かれており、一つは「視野の狭い見方、考え方」とあり、もう一つは「自分の理解・知識・意見をへりくだっていう場合、 使用する言葉」とあります。よくよく考えてみますと、私達はすべて「管見」の中で生きているのではないでしょうか。つまり、 今まで生きてきた自分自身の経験や知見というごく限られた細い管から、この世の中をみている。 もしくは世の中を見ることが出来ないのではないかということです。

 先日、私のお寺で講演会をしました。短歌の芥川賞ともいわれる現代歌人協会賞を歌集『キリンの子』で授賞された歌人の鳥居さんの講演会です。 今までに、「セーラー服歌人鳥居」という名前を聞いた方もあるでしょう。鳥居さんのお話を聞いて、「管見」を思い知らされました。 鳥居さんは2歳で両親が離婚、母親に育てられるが母が心の病となり、小学校5年生で母親が目の前で自殺、小学校を中退し、 児童養護施設での爪を剥がされるなど虐待、ホームレス生活、親戚に殺されそうになりDVシェルターでの生活、短歌を通して、生きる希望を取り戻し、 歌を通して生まれて初めて信頼できる大人に出会ったという衝撃的な人生経験を持つ20代の女性です。現代日本の闇を経験された鳥居さんのお話は深く重く、 聞く者をして涙なしでは受けとめられませんでした。鳥居さんは「かなしみは希望」とお話しになりました。 薄っぺらな人生経験の者が「かなしみは希望」などといっても、全く心に響きませんが、鳥居さんの想像を絶する経験から語られるその言葉は、 深いかなしみを知っているからこそ、見える世界があることを感じさせました。

 今まで悩み苦しんでいたことが、一転して別の視点を提示することで、苦しみから大きく解き放たれる作用が仏教にはあります。 まさに自分の思い悩み苦しんでいたことが、実は管見だった、もっと大きな世界があるんだと実感した時が、救われるということです。 あなたは、そのような経験がありますか。お寺に来て先ずは、仏とのご縁を感じることから、はじめませんか。ではまた。