ギボウシ

ギボウシ

秋のお彼岸( )

 “彼岸”とは迷いの世界であるこの世(此岸)を離れて悟りの世界(彼岸)を求めることです。その悟りの世界に到達する六つの心がけ(六波羅蜜)が示されています。

布施(ふせ)~あなたは何を与えられますか。何をえていますか。
持戒(じかい) ~ あなたはルールを守っていますか。
忍辱(にんにく) ~ あなたは我慢しなくてはならないときに我慢できますか。
精進(しょうじん) ~ あなたはいつも前向きですか。
禅定(ぜんじょう) ~ あなたは常に静かな心でいられ ますか。
智慧(ちえ) ~ あなたはいつも佛さまの智慧を戴いていますか。

 春は忍辱のお話をしました。今回は四番目の精進についてです。
 この語は「努力する」や「頑張る」の意によく使われます。人が一つの事柄に対して真摯にたゆまず取り組み、それを究めようとする意味合いが込められています。このため、この語は関取が昇進した時の口上でもよく聞かれます。「精進」とは、サンスクリットのvirya(ヴィーリヤ)の訳語で、「勇者たること」「勇敢さ」が原義です。毘梨耶、毘離耶などと音写し、勤、進、勇猛などとも訳され、ひたすら努力して怠けることなく、仏道にかなった善行を勇敢に実践し続けることを意味します。
 「精進はすべての善の根本であって、仏教の覚りは精進し放逸(ほういつ)でないこと(不放逸)から生ずる」と言います。「放逸」とは欲望のままに流されて本来のなすべきことをなそうとしないことで、精進を妨げる大きな要因と見なされます。私たちは、今やるべきことがあっても、日々の忙しさにかまけて後回しにしたり、忘れてしまったりすることが多いものです。釈尊は、入滅に際する最後のことばとして弟子たちに次のように遺言されています。「さあ、比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。形あるもの(諸行)は滅びゆく。怠ることなく努めよ(不放逸であれ)」と。
 日本に伝来したこの言葉に神仏習合がおこります。日本には仏教伝来以前から、神事に仕える者が、心身を清め、けがれを払う「潔斎」(けっさい)が行われていました。また仏道修行をする者も「不許葷辛酒肉入山門」(くんしんしゅにく、山門に入るを許さず)とあるように酒肉や臭みのある食物を遠ざけました。そこで、仏道に励む「精進」と、けがれを取り去る「潔斎」とか゛結びついて「精進潔斎」といわれるようになります。こうして「潔斎」の意味が「精進」にも入って、「精進」というだけでも酒肉を断ち、身をつつしむことを意味するようになりました。「菜食」が「精進料理」といわれる所以です。