
ツクシ
春のお彼岸
“彼岸”とは迷いの世界であるこの世(此岸)を離れて悟りの世界(彼岸)を求めることです。
その悟りの世界に到達する実践目標として六つの心がけ(六波羅蜜)が示されています。
1.布施(ふせ)
あなたは何を与えられますか。何を与えていますか。
2.持戒(じかい)
あなたはルールを守っていますか。
3.忍辱(にんにく)
あなたは我慢しなくてはならないときに我慢できますか。
4.精進(しょうじん)
あなたはいつも前向きですか。
5.禅定(ぜんじょう)
あなたはいつも静かな心で居られますか。
6.智慧(ちえ)
あなたはいつも仏様の智慧を頂いていますか。
今回は“智慧”についてです。
「ちえ」には「知恵」と「智慧」の二通りの漢字があります。日常使う「知恵」は、物事について考えたり判断したり、また、ものを創造する頭の働きを意味します。「知恵がつく」、「知恵が働く」とか「知恵を絞る」など日頃よく使う表現です。ただ、知恵を働かせる時、自分にとって損か得かあるいは善か悪かが影響し、「悪知恵が働く」といわれることも多々あります。
一方、「智慧」は仏教で使われる言葉で、ありのままの真実をとらえ、ものごとの本質を見抜く心の働きのことです。経典には「一切衆生悉有仏性(すべての人が仏に成るべき仏性を生まれながらに具えている)」とあり、私たちは生まれながら智慧を備えています。しかし、生きていく過程で「知恵」が優勢となり、「智慧」に気づかなくなっています。このため、六波羅蜜の修行を実践することで、寒暑苦楽も、そして私たちの周りで生起する物事すべてをかたよりなく平等に見る悟りの心、智慧に至るのです。
また、すべてを平等と見る智慧は、衆生をあわれみ、苦を除き、楽を与えようとする心(抜苦与楽)となり、すべての衆生に等しく慈悲として注がれます。この智慧と慈悲を備えたのが仏さまです。娑婆世界の競争に翻弄される私たちが智慧を得ることは難しいことですが、仏の智慧とは何か、慈悲とは何かに思いを巡らせ、それを頂き、心がけるならば私たちの人生もまた違ったものになるのではないでしょうか。